巨砲の破片
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深尾氏製造の巨砲の破片
佐川では天保末年、第九代当主相模重教が幕臣下曽根金三郎に学んだことによって西洋式砲術が伝えられた。幕内ではもっとも早い時期に属し、大砲はこの重教、また次の鼎重先によっていくつか造られた。しかし、このころの土佐には反射炉の設備がないため、昔ながらの踏鞴吹きによっている。この鉄塊もそれらの破砕片のひとつとして伝えられているもので、高知県工業技術センターの科学的分析の結果、明治期以前の鋳造であることが証明されている。(看板抜粋引用)