斗賀野城址
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佐川町
佐川町指定文化財
(二ノ部城址)
寛正三年(1463)土佐の守護・大平弾正光圀に、斗賀野・尾川の代官に任じられた田原彦右衛門年為は米森氏を名乗り、翌年斗賀野二ノ部に築城、津野氏の侵略の防壁とした。長宗我部元親が土佐統一のとき、高北隣郷の群雄が無条件降伏したなかでただ一人反抗奮戦したが、衆寡敵せず元亀元年(1570)落城した。落城後、米森攻めの功臣・安並但馬に与えられたが、数年後、米森氏四代の遺徳を慕う農民の一揆により、城は一夜にして炎上、但馬は農民の竹槍襖の中で、命を落としたと伝えられている。
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