うばが森
トップページ
>
高知県の観光
>
四国の河川
>
高知の河川
>
仁淀川
>
うばが森
吾川郡いの町
養甫は、鎌田城の戦い前に幼い「ちい」を抱いて成山に移り住んでいたが、「ちい」は幼くして亡くなり、鎌田城の戦いで、長男弥次郎・二男虎王・波川一族郎党全てを失う。養甫はこの時から、「うばい」(女性の仏教信者)となって供養一筋に生きる。村人や養甫の手によって仁淀川の小石(たもと石)がうばが森に運ばれたのもこの頃である。
仁淀川へ戻る
高知県の観光へ戻る
高知の河川へ戻る