茶園堂
トップページ>高知県の観光>四国の河川>高知の河川>仁淀川>仁淀川の旧跡
茶園堂と盆踊り
寺野城(黒岩郷)城主13代片岡茂光は、善政を施し城下に茶園堂を設けて、領民をして湯茶の接待をさせ、通行する旅人を慰労した。そして、茶園堂に領民を集わせ、盛大な盆踊り会を催した。
14代片岡光綱は、片岡・法厳の2城を築き、片岡に移り住み、茶園堂も建てて接待を続けた。永禄3(1560)年茂光の死後、その妻(長宗我部国親の妹)理春尼は、夫と兄の死を悼み、供養に明け暮れると共に村の幼童を集めて読み書きを教え、夫茂光が遺愛の盆踊りを育成し、ここ茶園堂の庭、瑞応寺(黒岩郷)、天忠寺(黒岩郷)で毎年盛大な盆踊り会を催した。
片岡氏滅亡後も村人達は絶やすことなく続けた。後年土佐藩執政野中兼山は、毎年供養の灯油3升を永代下賜として助成した。
これが現在も続けられている片岡茶園堂や端応寺の盆踊りである。(案内板 引用)