牧野富太郎先生誕生の地

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佐川町

むかしここに、岸屋という大きな酒造りの家がありました。文久2年(1862)、牧野富太郎先生はこの家に生まれました。子供の頃から友達と遊ぶより、草や木を友として遊ぶのが好きでした。10歳の頃名教館で勉強し、後に小学校へ入学しましたが2年でやめ、それからはすべて自分で、むずかしい英語やラテン語などの勉強をしながら、植物学の研究を続けました。東京大学での研究中は、独学であったため大変苦しい研究の連続でした。先生はその苦しさを乗り越えて「日本の植物誌」や「牧野植物学全集」「牧野新日本植物図鑑」など、りっぱな本を次々と著わし、世界でも有名な植物学者となりました。後には日本学士院会員に選ばれ、亡くなってから文化勲章をうけられました。「草をしとねに木の根をまくら花を恋して50年」このうたのように先生は、自分の好きな植物学のために95年の一生をささげました。
(看板引用)

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