中島信行生誕地

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土佐市

初代衆議院議長 (1864〜1899)
弘化3年、塚地の郷土の家に生まれ、長じて勤皇の志を抱き、元治元年19才の時、時勢を慷慨し同志中島与市郎、細木核太郎と共に脱藩を図った。与市郎は途中豫土国境の水の峠で自害したが、二人は捕吏の追跡を逃れて長州に赴き、信行は更に長崎に出て坂本龍馬の海援隊に入り、龍馬の死後は陸援隊に移って国事に奔走した。維新後は徴士となり、累進して神奈川県令(知事)元老院議官、イタリア特命全権公使の要職を歴任した。明治32年、野に下り自由党の副総理として活躍、神奈川県より代議士に当選し、初代の衆議院議長に推された。ついで貴族院勅選議員となったが、明治32年大磯において54才で病没した。長男久万吉は商工大臣となった。継妻の岸田俊子は、有名な女権論者である。
(看板引用)

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