清水井手
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高岡郡仁淀川町
ここで道路と交差しているのは、清水集落へ水を運ぶ用水路で通称清水井手と呼ばれている。清水井手は、1860年に生活や農業用水の確保に苦労していた清水・八頭・薬師堂の先覚者左京義三・左京常吾・山本虎吾・山本広次が中心となり、夜中に提燈の明かりで測量をし、地元の約100人が連日休みなく山肌を堀り岩を砕いて、一年六カ月で黒森山東側の稲村谷から約7kmの用水路を完成させた。この偉大な事業により、約3ヘクタールの水田が出来、その恩恵は今も営々と受け継がれている。用水路は当時から井手組合が管理してきたが、維持管理に大変苦労する為、昭和30年代と40年代に二度にわたってコンクリートで固めた。それでも水漏れがひどいため平成になってから全線にパイプを敷設し、労力や費用は大きく軽減された。今では、昔の水路の様子は見る事が出来なくなったが、用水は約1km先で大きなタンクと池に貯水され、畑の灌漑用水や水田用水として使用されている。
(看板引用)