天石門別安国玉主天神社の棟札

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いの町

いの町保護文化財

神谷領(城)主勝賀瀬越後が施主、勝賀瀬村神主衛門大夫が願主で天文九年(1540)霜月八日、天石門別安国玉主天神社を造立したときの棟札である。この神社は延喜式内社であるゆえ、遠く平安の昔からあったはずである。したがってこれは何度目かの再建造立ということになるだろう。棟札の上端は山形で全高40cm、下部の幅8.5cm、厚さ1.2cm、桧材で作り両面には「ヤリガンナ」の凸凹が残っている。棟札銘は墨書である。江戸中期土佐の大学者谷奏山は、藩主の意をうけて国中を巡り神谷に来て当天神社を検証し、式内社二十一社の一つであると確認された。その内容は、最も権威あるものとして今に珍重されている奏山著「土佐国式社考」にある。

天石門別安国玉主天神社の棟札

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