高橋安之丞の墓

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いの町上八川

義民・高橋安之丞は、慶安3年(1650)頃に、上八川村田野々(現、小申田・蓮行・柿薮)の庄屋、高橋安右衛門の長男として生まれ父親の後を継ぎ、村人の世話や新田開発を積極的に行い飢饉に備えて稗作を奨励したりした。また、楮や茶を栽培させて、村民の生活の向上をはかった。
貞享4年(1687)、前年からの旱魃で、上八川地方は五穀が実らず、飢餓に苦しむ者が続出した。そこで彼は、救済策を講じたうえ年貢の減免を領主土佐藩仕置役 岡部嘉右衛門へ直訴した。しかし、安之丞を陥れようと偽りの密告をした者のため捕えられ詳しい調べもなされないまま元禄元年(1688)10月、高知城下で処刑されてしまった。そこで当時の村の農民たちは、安之丞の霊を鎮め守護神として祀るため彼の首塚を造った。その後、氏子たちの手によって壮厳な神社や墓が建立された。以来、県内外からの参拝者が絶えたことがない。

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