耳なし地蔵

仁淀川

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今から四百年ばかり昔、横倉神社の南隣りにあった横倉寺に城了という身よりのない琵琶法師がたずねて来た、横倉寺の住職仙英は城了を寺に住まわせて、仏様の前で琵琶を弾かせ供養としていた。ところが城了が夜中に平家の亡霊に連れ出され横倉山上で安徳天皇の御前で平家琵琶を語り帰って来る事を知りこの侭では城了が危ないと思い祈祷をした香水を城了の身に塗って亡霊の手からのがれさせようとしたが、香水を耳に塗り残したため亡霊に城了の耳だけ見つかり耳をちぎって持っていかれた。城了の死後寺僧は城了の墓の上に耳のない地蔵を安置(祀り)し供養した。これが耳なし地蔵の由来である。
その後この地蔵に願いごとをするとよく叶うという評判で願いが叶うとお礼に穴あき石を供えるとよいといわれ沢山の穴あき石が供えられている。(看板引用)

耳なし地蔵の碑

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穴あき石

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