蓮池城主大平氏累代の墓所

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土佐市蓮池

蓮池城は、蓮池権頭家綱によって始まったが、源氏の台頭により家綱は、頼朝方によって討たれた。その後は、建久3年(1192)源氏方の藤原国信が守護に任ぜられ、大平氏を名乗って蓮池城に入り、代々勢力の拡張を図り、一方では文化の高揚につとめ、社神の造営修築を行うなど多くの事績を残している。応仁の乱後、群雄割拠の時代に入ると土佐七族の雄に数えられた大平氏も、一條房基の軍に追われ、天文15年(1546)城主国興は戸波積善寺に自刃し、350年余高東の地に豪族として君臨した大平氏は滅亡した。この地四方寺には、かつて同名の菩提寺があって、ここに累代の塚が祀られている。なお、自刃した積善寺には、大平国興主従の墓がある。
(看板引用)

蓮池城主大平氏累代の墓所

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